もえいづる

私が子供の頃には、廃車が遊び道具として広場に置いてあったりした。運転席でハンドルを回し、高速で走った。(あくまでもイメージ)

タイヤが無造作に積み上げられ、自由に転がして遊んだ。ブランコは立って乗り、一回転しそうになるくらい高くこいだ。
地味におてんばだった私、よくまあ大怪我しなかったもんだ。

当時の浦和は用水路もよくあり、原っぱが沼地のこともあった。遊んでいるとズボッと足首が泥に入り込み、なかなか抜けなくて、右足がカポっと抜けたと思ったら今度は左足がグッと深くはまり。お気に入りのレースの靴下と白いサンダルがドロドロになった映像が頭に残っている。

だから、今でも絵本や映画やゲームで「底なし沼」が出てくると、あのヌッタリとした感触がリアルに思い出され、とても苦しくなる。

春にうれしい新芽。大人がよもぎやセリ、のびろを見つけしゃがみ始めると、初めのうちは一緒に探しているが、よもぎ餅をたくさん作るほど摘むというような時には結構な時間がかかる。

草むらで妙にうら寂しくなり、しゃがみ、自分を探す声を待ったりした。

あの日も草の根本をみつめ、じーっとしていた。虫の羽音が耳を横切り、首を振った。すると草むらの奥に空間、猫かなにか動物の寝床があった。こっそりひっそりあった。

隠れていたのも忘れ、ねえねえとはしゃいで大人を呼んだ。

あの頃 野良猫も野良犬も道にいたし、もぐらも青大将も庭にいた。電線にはたくさんのスズメの大家族が並んでいた。人間以外の動物の暮らしが今よりずっと近かった。

登茂子